誰に言われなくても自分の中に持つ美意識

あなたは日々の生活の中でどんな判断基準を持っているだろうか?

昨今、情報社会の到達によって、自分たちの発信したモノゴトに対する評価が厳しくなっている。

不適切なもの、モラルのないもの、相手に対する思いやりのないもの、美意識のないものはすぐに相手にバレる。

テキトーでいいかっと考えて発信したものは、そのように相手に伝わってしまう。

僕たちはそのような監視社会に生きている。

特に日本は恥の文化があるので、自分だけでは完結せず、必ず相手はどう思うかとか社会的にどうだろうか、などと価値判断が他人によってなされることを基本的に考えてしまう。

そんな中、恥をかいてはいけない、恥はかきたくないという思いから

自分を盛る、だとか

良い部分だけを見せる、だとか

失敗しないようにもしくは失敗を見せないように隠す、だとか

他人の顔色を伺う、だとか

日本特有の行動にかられる。

そんながんじがらめな文化にさらにがんじがらめな監視社会が到来。

日本人はまともに生きられなくなってしまったのだろうか?

いや、この時代こそが日本人がもっとも輝けるいい時代だ。

それは、日本人はそういった負の側面とともに、類稀なる美意識も併せ持つ

稀有な存在だからだ。

日本人はもっと自分の美意識を誇りに思って、それこそを前面に押し出して生きていったほうがいい。

今は、マーケティングだとかグローバルマインドだとか

外資も入り乱れる経済戦争真っ只中だ。

その中には海外から入ってきた考え方ももちろん含み、そういう考え方を取り込むのは日本人の得意技だ。

だけど、その得意技であるおおらかになんでも取り入れることに比重が置かれすぎて、本来自分たちが持っている素晴らしいものに目を向ける機会が減っている気がする。

ミーハー気質なのかな。

もちろん時代に合わせて新しい考え方を取り入れるのはいい。

その取り入れ方には2種類ある。

外部から取り入れるか、内部から取り出すか。

結局時代に合わせてアジャストしていかなければならないのはどちらでも同じなのだから、どっちから情報をとりだすか。

日本人は自分たちのDNAに組み込まれている美しいものから新しい時代への扉を開いていったほうが自然にかつ独自性を持って生きられる。

地に足をつけた考えができる。

会社の命令で、地域の風習で、なんとなく流行っているから、

そんな理由で行動を支配されてはならない。

誰になんと言われても、自分の中にある美意識に従ってでた答えがもっとも正しい。

そう自分を信じること。

コンプライアンス(法令遵守)。もちろん大事。

でも、もし法に定められていなくても自分の美意識に従って、おかしいだろこれ、ってことはやらない。

それが結局、最終的に10年後20年後に一番良い結果を生み出す。

今は法令の策定よりも技術や社会活動の方がどんどん先んじているので、法律が追いついていない。

だからこそ基準となるのは自分の中の美意識なんだよね。

さて、あなたの中の美意識はなんですか?

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