欲望を本気で忘れて子供のように無邪気に生きる大人になろう

大人になると余計なこと考えちゃう。

相手のこととか社会のこととかしがらみのこととか自分のこととか。

子供の時ってそんなこと考えてたっけ?

きっと純粋で、やりたいからやってるんだぜ!って感じだったと思う。

そんな自我の塊みたいな存在が子供なんだと思うけど、

大人だって大切なことなんじゃないかっていうお話。

そりゃあもちろん、大人として生きてれば相手のこと社会のこと考えるのは大人として当然かもしれない。

けど、一人になれる時間くらい(もしくは仲間と一緒の時くらい)子供のように純粋に無邪気に生きたっていいじゃない?

断捨離ってよくいうけど、ものだけじゃなくて。

心の中にあるもんも断捨離してスッキリしたほうがいいと思う。

だからできる範囲で、普段めんどくさいけど考えなきゃいけないことを

本気で断捨離する。

僕がよくやるのは、休日にキャンプいくこと。

自然の中で何にもない中でぼけっとするといいんだよ。

子供の頃って野原を走り回るだけで楽しかったじゃない?

今おんなじことやってもつまんないかもしれないけど、

大人になった今だからこそ本気で純粋に楽しめることってあると思うよ。

 

あーあと、姪っ子と遊ぶのもいいよ。

子供に触れるとほんと子供心がわかる。

子供に教えられるって、あるんだよ。

 

あーしなきゃこーしなきゃの欲望なんて全部スッキリ投げ捨てて。

できる範囲で、最初はちょっとずつ。

その無邪気の範囲をちょっとずつ増やしていけばきっと豊かな子供心が蘇るよ。

最初は何もなかったんだし、何も持たずに生まれてきたんだから。

キャリアとか積み上げてきたものなんてそんな大事か?

一旦忘れてみよう。

自分はこういう人間なんです、なんて自己ブランディングやセルフイメージやキャリア、そんなもんなくたって生きていけるよ。

自分で生み出したしがらみは自分で断捨離できる。

自分の中に何にもないスペースを作るんだ。

そしたら新しくて楽しいものが入るようになるでしょ。

自分が何者かなんて、他の人が勝手に決めてくれるよ。

しかも見る人によって、違うんだから、それでいいじゃない。

仕事をするあなた、釣りをするあなた、頼りになるあなた、忘れっぽいあなた、いろんな見方をされるよ。

どういう見方をされようが、自分には関係ないこと。

相手の反応を伺っていたら、相手の望みに自分を合わせてしまうことになる。

一度きりの人生は、あなたが自分で決めていいんだよ。

それより自分自身の思考力を磨こうよ。

俺こう思うんだよね、ってはっきり自分の意見持ってるほうがいいよ。

自分の世界の中では、大人の事情なんてナシナシ。

そんな風に考えられたら、さあ何をしようかな。って

一気に自由度が増してこないかい?

 

いつの間にか社会の中の立ち位置を勝手に決めちゃって

辛くなってた自分を解放してあげようぜ!

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