5年前の自分に言っているかのようにブログを書く効果

ブログを書く時のターゲットは誰にするか、誰に向けて書くのかというのはとても重要です。

以前は誰かのために自分の持っている知識を役立ててくれれば、という思いで書いていたが、もっと具体的にアバターを決め込んだほうがいいよなあと思い立ったので書いてみようと思います。

結局自分に向けて書くのがいい

誰かの役に立てばとはいえ、具体的にその人を想像することは困難です。

そういう時は、昔の自分に向けて書けばいいんだと思いつきました。

昔の自分なら何を考えていたか想像がつくし、少し前の自分は今の自分にとっていわば後輩みたいなもんで、先にスキルや新しいことを学んだ先輩が後輩に教えているという想像がつきやすいと感じたのです。

それに、昔の自分向けなら大事なことも惜しみなく教えるだろうと思うし。

結局モチベーションが上がるやり方ならなんでもいいんですよねー

こんな考え方おもろいやろ!?って昔の自分に教えるわけですよ。

そうすると、自分の分身だから、「おっ、それ面白いっっすねえ」ってなるに決まってるんだから。

教えてる方もテンション高めに行けるわけですよ。

これはいわば、自分に近しい考え方の人を集める作業ですね。

未来の仲間を集める

結局自分が今考えていることって、自分がクリエイターならば将来現実化することだと思うんですよね。

だから僕がブログに書く内容も将来現実化することだし、それに反応してくれてる読者の方々も未来の仲間なんですよね。

だからブログを書くということは未来の仲間を集める掲示板の役割を果たしている、と思うんです。

だから、今自分が面白い楽しいと思っていることを自分にとってわかりやすく表現することは、シンパシーのエネルギーを放出していることと同じ。

そこに共鳴してくれるものは繋がっていく運命にあるんです。

これは家族とか友達とか同僚のように、生きてきた中でたまたまそこに存在していた人ではなく、

自ら手を振って「この指とまれ」をして集まってきた、志が似通った仲間と言えるでしょう。

そうやって集まってきた仲間は、さらに未来の世界で大きなうねりとなって進んで行ける母体となるものです。

これは、僕だけの話ではなく、これからの時代を生きていく誰しもに当てはまることです。

意味的には自分にとって都合のいい人という意味ではないですよ。

根本の部分で似通っているから自然と同じ方向に好きで向かって行ける、そんな感覚的な仲間です。

これからはそういう大きな志の塊のようなものが様々なところでうねりを持って存在していくでしょう。

なぜなら僕たちはその気になれば一瞬にして世界中の人と繋がれる存在になったからです。

ブログのようにね。

これは従来の人間関係とは全く異なるものです。

そこにある存在を認め合い、色々な意見の違いを認め合いながら存在してきたのが今までですが、

その必要は必ずしもなくなっていくでしょう。

昔ながらの血縁関係は不要になるのか

しかし、そういった昔ながらの関係は家族などの血縁関係をどう変えていくでしょうか。

血の繋がりは意味がなく不要なものとなっていくのでしょうか。

おそらく、血のつながりや同僚などの偶然による人間関係は、これはこれで意味のあるものとしてなくなりはしないと思います。

大きなうねりで勢いある人生を歩めるようになる一方、自分とは全く価値観の違う人との関わりは、自分の世界を広げてくれるもう一つのパワーとなりうるからです。

この新たな時代の推進力と昔ながらの思考力の組み合わせで人間は今よりももう一段階レベルアップできるのではないかと思います。

自分もそういった人たちの仲間入りをできるように、ブログを通じた時代の推進力をみなさんと一緒に作り上げていければ最高だなーと思っていますよ。

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