とにかくもう普通とか世間体とか同調とか慣習とか村社会とかマイルドヤンキーとかつながりの社会とかいったん忘れて生きましょう。
日本は歴史的にそういったことを重要視して今まで生きてきた。
しかしそのような考え方はハードリセットされる。
日本はもう日本だけで生きているのではないし、世界は一つにつながった。
手元のミニモニターで世界中の情報に一瞬にしてアクセスできるんだから、大人も子供も立場も関係なくそういう社会に生きていると自覚すべきだ。
国は確かに生活の上での最小単位かもしれないが、AIの発達によってその壁は取り払われていく。
そうすると国という生活するための最小単位すらなくなっていく。
今の時代はトランプ大統領のマニフェストとか、EU崩壊など、それぞれの国がナショナリズムに傾倒し内向きになっているから実感はないかもしれないが、未来は確実にやってくる。
いったん内に引き込まれたエネルギーは再び外側へ解放される時が来る。
それは10年後か20年後かわからないが、技術の発達は確実に世界や生活を変える。
スマートフォンが生活を変えたのと一緒。
その転換点前後に、様々なものが廃れそして新しいものが生まれる。
タイトルにも書きましたが、変態、偏愛の精神で生きることは、今はまだ異質なものとして社会のメジャーシーンではない。
が、着実にその目は出てきている。
一昔前は芸能人やアーティストが一部の抜きん出た才能の持ち主としてアイコンになっていた。
しかし、今や個人が世界に向けて発信できるツール、youtubeやツイッターやインスタグラムなどによって、個人個人誰しもが自分のやっていることを見てもらうことができるようになっている。
つまり、何かをやっている個人はその思いや行動や成果物を誰かのために表現し見てもらうことが可能になっている。
この世の中には、芸能人ではないけれども、素晴らしい才能を持つ人がたくさん眠っている。
そういう人は、芸能人のように表に出たくない人もいるし、そもそも出る方法がわからない人もいる。
芸能人の表現方法は、メガメディアに出ることで露出を増やし、認知してもらうことで表現する。
今でいうテレビ、雑誌など。
我々個人が使えるメディアはメガメディアに比べるとしい際影響力かもしれないが、自由がある。
自分のやりたいように表現ができる。
あとはこれを分かち合いたいと思う気持ち、それがあるかどうかだけだろう。
別にメディアを使って誰かにわかってもらわなくても、自分の世界を黙々と続けられればそれでいい、
と思っている職人気質の人もいる。
それはそれでいい。
自分が自分の幸せの形をわかっているならそれで。
だけど、オウンドメディアを作って、いろんな人を巻き込み影響力をつけ、何か大きなうねりを生み出したい思うなら、
個人メディアを始めてもいいと思う。
しかしメディアを使う使わないは二の次でいい。
とにかく大事なのは、自分が他人に何と言われようともこれが好きなんや!と言える変態的な偏愛できる何かを持っているか、ということ。
それが全ての原動力となり、これから個人が幸せに生きるための原石となるものだから。
誰かに何かを与えられて喜ぶ時代は終わります。
サラリーマン的な考え方だと、周りと合わせながらうまくやっていく的な考えがあります。
学生だと、周りの友達に合わせたりして生きていくこともあります。
確かに人間関係を円滑にしていくにはいいでしょう。
しかし、あなたの人生の目的は人間関係を円滑に進めることでしょうか?
これからは誰もが人が自分の足で自立し、独立した輝かしい人生を歩むことが生きる目的になって生きます。
戦後の時代は、仕事があって食べ物があってテレビがあれば幸せな時代でした。
今はそれで満足できる人がいますか?
全て当たり前に存在しているものです。
今からの時代は、自己実現の欲求を満たさないと楽しくない、そんな時代になります。
確かに人間関係は必要。
だけど、その人間関係を築く前に、自分はどういうことをやっていく人間なのか、はっきりさせながら進んでいく必要があると思います。
そうしないと、周りに流されるだけの人生になっちゃうからね。
僕自身は、こういったことを誰かに伝えたい、自身の才能を開花させることができる人がもっとたくさん出てきてほしくて、そのためのお手伝いができれば楽しいなあと思って書いています。
素晴らしい才能を見ているだけで感動できるから。
才能がそこら中に花開いている、そんな未来を想像したら、とても幸せになります。
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